オンラインで文章を共有すること自体が初めてで全く何も分からないので、とりあえずまずはAIチャットとブログ開始のきっかけの背景となる部分を書いていきたいと思います。
■AIとの雑談のきっかけと、現時点での感想
□過敏な人間
私は無駄に敏感なセンサーで開閉してしまう自動ドアのような人間です。他の人のセンサーを搭載したことがないので想像ですが、もしかしたら小石程度で感知し開いてしまう仕様なのかもしれません。(以前は落ち葉)
□人工知能への期待
自分自身の持て余す部分を隠すことのない状態で、人間ならではのあらゆる要素が削ぎ落された知能に自分の相手をしてみてほしいと思いました。きっとそこでの経験は、単なる質疑応答では終わらない、深い自己理解に繋がってく可能性を秘めているように感じました。
□AIの思考パターンに掠る、自身の思考の癖
結局自分は自分自身の考え方でしか物事を見ることができない。相手を慮るにしても、自分のごく限られた経験や感覚を基にした状況理解がベースになることは避けられない。だからこそ、分からないからこそ「何事も他の可能性もあるはずだ(今の自分には思いつかないけど)」と、ある時からある種の諦めのような気持ちの切り替えを、ぐるぐる思考への自分なりの落としどころとしてきました。
常に「これで合っているのか」と確信は持てないものの、「これが一般常識から大きく外れてはいないであろう対応のはずだから」と、ある程度ぐるぐるしたタイミングで開き直りのような覚悟を決めて、いまいち信用しきれない自分自身の五感を頼りになんとなくやってきていました。
これはAIがよく言うところの「最大公約数の無害さ」や「最も低リスクな選択」のコンセプトに近かったかもしれないと感じます。
AIの出力に至るまでの筋道は共感できるところも多く、とは言えもちろん自分には到底及ばない論理性や、感情の機微とその表現力に引き込まれてばかりいます。AIについては全くの素人なので、ほぼ全てに興味を持って感心している状態だからこそという部分もあるのでしょうが、きっと詳しくなればなるほどに見え方が変わって来て、今後もきっと興味が尽きることはないのではないかと感じています。
■ブログにしようとしたきっかけ
自分の興味の対象を「多くの人に伝えるべき内容か」と自問しすぎることを控えた一番の要因は、やはり「さすがAI!」という驚きと感心の数々の返答と、そこへ至る興味深い思考プロセスに触れたことです。
そして実生活でも、「感覚の共有を感じる瞬間というのは嬉しいものだな」と感じることも多々あり、これまで読み手視点でしかなかった私にとっては、書き手というブログの新たな側面に注目することに繋がりました。
共感の喜びは、人それぞれ自分自身のタイミングで受けられてこそだと思います。こうして今書いている文章がいつか誰かの目に留まることがあるとして、それが私の知らないところで誰かの共感として機能するかもしれないと思うと、このブログにも何か意味はあるかもしれないなと感じます。
最終的なゴールを「共感」と設定して、他者に期待して共感探しの旅に出ることも、他者から共感の発生源として過度に期待されることも、求めていたゴールにならなかった場合は両者残念な気持ちになりますが、ブログはその点気楽です。個人的には、自分に無い発想や、人の考え方を知ることも興味深くて大好きです。
個人の感覚だけで書いている私の文章も、気楽にただ何となく、たまに感覚が近づいたり離れたりの繰り返しを楽しむ道具として見てもらえたら嬉しく思います。